2015年07月14日

異なる霊の現象に要注意!

1.使徒2章の間違った解釈から始まった「トロントブレッシング」

 御言葉に、書かれていない解釈を付け加えて新しい教えを広めることは、異端化につながる危険があります。使徒2章のペンテコステの時、「甘いぶどう酒に酔っている」と批評した人がいたことから、聖霊に満たされると「酔っぱらったように、笑ったり泣いたり、叫んだり、倒れて震えたりする現象が現れる」という解釈が、トロントから世界中に広まりました。


 しかし使徒2章には、「みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国の言葉で話し出した(2:4)」とあるだけで、異言以外の現象については記されていません。エラム・メソポタミヤ・カパドキヤ・ポント・アジア・エジプト・リビヤ・ローマなど、天下のあらゆる国から来ていた敬虔なユダヤ人たちは、ガリラヤの人々が諸国の言葉で「神の大きな御業」を語るのを聞いて驚きました。外国語を知らない弟子たちが異言で説教し、福音を解き明かすのを聞いたからです。

 ペテロも異言で語っていましたが、「酔っている」とあざける言葉を聞くと、すぐに反応し、ユダヤの言語で応答しました。異言を理解できないユダヤ人たちに、母国語で神からの言葉を語ったのです。そして「わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し…」というヨエル書の預言が実現したのだと説明しました。メシア・イエスにより罪の贖いが完成し、新しい契約が実現して聖霊が注がれたことを、神から預った言葉で解き明かしました。

 聖霊に満たされた弟子たちは、母国語でも外国語でも、冷静に悔い改めのメッセージ、神からの預言を語ったのです。人々はその説教を聞いて心を刺され、悔い改め、3000人がバプテスマを受けました。そこには、トロント現象に見られるような、立つことも座ることも聖書を開くこともできない、自分で制御できない酔っぱらいのような体の反応も、けたたましい笑い声や動物のような叫び声、異常な混乱状況も読み取ることはできません。泣く・笑う・叫ぶという感情的な表れや、倒れる・震える・走り回るという身体的反応は、「聖霊に満たされた証拠」にはなりません。それらの反応は肉の反応、個性の現れであり、霊性や霊的成長とは関係ないと思われます。


 聖霊は、主を知る知識と主を畏れる霊(イザヤ11:2)であり、信者の頭脳に働きかけ、知性を開き、福音を明らかに理解させて下さいます。罪について義について裁きについて世に誤りを認めさせ(ヨハネ16:8)イエスの御霊としてキリストを証し、イエス様の栄光を現わし(ヨハネ16:14)、「イエスは主である」と告白させます(Tコリント12:3)知恵と啓示の御霊として、「心の目がはっきり見え、神の召しによって与えられる望み・聖徒の受け継ぐ栄光のすばらしさ・信じる者に働く神の力の偉大さ」を知ることができるようにしてくださいます(エペソ1:17〜19)真理の御霊としてすべての真理に導き入れ、やがて起ころうとしていることを示し(ヨハネ16:13)助け主としてすべてのことを教え、すべてのことを思い起こさせてくださいます(ヨハネ14:26)


 聖霊がキリストの御霊であり、天におられる第2位格の神であるキリスト・イエスを証する霊で

あると信じ、「神は混乱の神ではなく、平和の神である(Tコリント14:33)」ということを知っているなら、トロント現象は神からのものではないと見分けることができるでしょう。トロント系の酔っ払い現象は、未信者を躓かせ、救いから遠ざけるものであり、そのような現象を「聖霊の働き」と呼ぶのは、聖なるキリストの御霊に対する冒涜ではないでしょうか?



2.「霊に酔う」は喜ぶべき体験ではなく、憂うべきこと

ヨブ12:25

 彼らは光のない所、やみに手さぐりする。神は彼らを酔いどれのように、よろけさせる。

イザヤ19:14

 が、彼らの中に、よろめく霊を吹き入れられたので、彼らは、あらゆることでエジプトを迷わせ、酔いどれがへどを吐き吐きよろめくようにした。

イザヤ29:9〜10

 のろくなれ。驚け。目を堅くつぶって見えなくなれ。彼らは酔うが、ぶどう酒によるのではない。ふらつくが、強い酒によるのではない。が、あなたがたの上に深い眠りの霊を注ぎ、あなたがたの目、預言者たちを閉じ、あなたがたの頭、先見者たちをおおわれたから。

エレミヤ13・13〜14

 あなたは彼らに言え。『はこう仰せられる。見よ。わたしは、この国の全住民、ダビデの王座に着いている王たち、祭司、預言者、およびエルサレムの全住民をすっかり酔わせ、彼らを互いにぶつけ合わせて砕く。父も子もともどもに。──主の御告げ──わたしは容赦せず、惜しまず、あわれまないで、彼らを滅ぼしてしまおう。』」

*酔わせることは神様の裁きの方法の一つです。


エレミヤ23:9〜12 、15

預言者たちに対して──私の心は、うちに砕かれ、私の骨はみな震える。私は酔いどれのようだ。ぶどう酒に負けた男のようになった。と、の聖なることばのために。国は姦通する者で満ちているからだ。地はのろわれて喪に服し、荒野の牧草地は乾ききる。彼らの走る道は悪で、正しくないものをその力とする。実に、預言者も祭司も汚れている。わたしの家の中にも、わたしは彼らの悪を見いだした。──主の御告げ── それゆえ、彼らの道は、暗やみの中のすべりやすい所のようになり、彼らは追い散らされて、そこに倒れる。わたしが彼らにわざわいをもたらし、刑罰の年をもたらすからだ。──主の御告げ──・・・それゆえ、万軍の主は、預言者たちについて、こう仰せられる。「見よ。わたしは彼らに、苦よもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。汚れがエルサレムの預言者たちから出て、この全土に広がったからだ。」

エレミヤ25:27〜28

 「あなたは彼らに言え。『イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。飲んで酔い、へどを吐いて倒れよ。起き上がるな。わたしがあなたがたの間に剣を送るからだ。』もし、彼らが、あなたの手からその杯を取って飲もうとしなければ、彼らに言え。『万軍の主はこう仰せられる。あなたがたは必ず飲まなければならない。

*主の恐ろしい裁きの言葉を聞いたエレミヤは、ショックで酔ったようにふらふらになりました。


エレミヤ48:26

 彼を酔わせよ。主に対して高ぶったからだ。モアブはへどを吐き散らし、彼もまた物笑いとなる。

ハバクク2:15〜16

 わざわいだ。自分の友に飲ませ、毒を混ぜて酔わせ、その裸を見ようとする者。あなたは栄光よりも恥で満ち足りている。あなたも飲んで、陽の皮を見せよ。の右の手の杯は、あなたの上に巡って来て、恥があなたの栄光をおおう

黙示17:1〜2、5〜6

 また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」……その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」という名であった。そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。

イザヤ51:21〜22

それゆえ、さあ、これを聞け。悩んでいる者、酔ってはいても、酒のせいではない者よ。あなたの主、ご自分の民を弁護するあなたの神、は、こう仰せられる。「見よ。わたしはあなたの手から、よろめかす杯を取り上げた。あなたはわたしの憤りの大杯をもう二度と飲むことはない

*主が憤りの杯を取り除いて下さるまで、異なる霊に酔ったり、酔わせたりし続けるのでしょう。



3.終わりの時代に生きるクリスチャンは身を慎みなさい!

 ペテロの第1の手紙では、終末時代に生きる信仰者は「身を慎む」ことが特に重要であると、3回にわたって忠告されています(1:13,4:7,5:8)。新改訳聖書では、

1章13節 「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」

4章7節 「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」

5章8節 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」


1章13節の「心を引き締め、身を慎み」を他の聖書で見ると、

・「心の腰に帯を締め、身を慎み(口語訳)」「いつでも心を引き締め、身を慎んで(新共同訳)」

・Therefore gird up the loins of your mind, be sober, and rest your hope fully upon the grace that is to be brought to you at the revelation of Jesus Christ; (NKJV) …酔ってはいけません。

(soberは、酔っていない、しらふの、節度ある、真面目な、冷静な)

・Therefore, prepare your minds for action; be self-controlled; set your hope fully on the grace to be given you when Jesus Christ is revealed. (NIV) …自制していなさい。

・So then, have your minds ready for action. Keep alert and set your hope completely on the blessing which will be given you when Jesus Christ is revealed. (TEV) …油断しないように(用心深く)


4章7節「祈りのために、心を整え身を慎み」は、

・「心を確かにし、身を慎んで(口語訳)」「思慮深くふるまい、身を慎んで(新共同訳)」

・But the end of all things is at hand; therefore be serious and watchful in your prayers.(NKJV)

…(祈る時には)本気(まじめ)になって、よく見張り(用心し)  

・The end of all things is near. Therefore be clear minded and self-controlled so that you can pray.(NIV)…(祈れるように)思考を明瞭にして、自制し

・The end of all things is near. You must be self-controlled and alert, to be able to pray.(TEV)

…(祈れるように)自制し、油断せず

5章8節「身を慎み、目をさましていなさい。」は、

・「身を慎み、目をさましていなさい(口語訳)」「身を慎んで目を覚ましていなさい(新共同訳)」

Be sober, be vigilant; because your adversary the devil walks about like a roaring lion, seeking whom he may devour.(NKJV) …be soberは、酔っていないで(しらふで、真面目に、冷静に)

vigilantは、絶えず警戒(注意)して、油断しないように

Be self-controlled and alert. Your enemy the devil prowls around like a roaring lion looking for someone to devour.(NIV)…自制し、用心深くしていなさい。

Be alert, be on watch! Your enemy, the Devil, roams around like a roaring lion, looking for someone to devour.(TEV)…油断なく、見張っていなさい!


*ペテロは、心を整え、思考を明瞭にし、敵を警戒して目を覚まして祈り、身を慎み(まじめに、自制し、絶えず警戒し、油断なく見張って)、キリストの再臨を待ち望むように教えています。


エペソ5:18 「酒によってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」

ガラテヤ5:22、23 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」


4.惑わしの時代だから、霊を見分ける必要がある

トロントの霊的現象については様々な調査がなされ、ヒンズー教のクンダリーニ(「蛇の力」と言うヨガに働く霊)の現象であると結論されています(ヒンズー教から救われた人は映像を見てすぐに見抜くそうです)。特徴は愛を感じること、身体の癒し、エクスタシー、抑えられない感情的・身体的反応などです。ニューエイジャーから救われてきた人たちが、東洋神秘主義宗教やオカルトの影響を持ち込んだこともわかっています。トロントの霊的影響は、多くの働き人に引き継がれ、多くのバリエーションを持ってさらに拡大しています。

SHOCKING DOCUMENTARY - False spirits invade the church - KUNDALINI WARNING

Part 1 https★//www.youtube.com/watch?v=eBpw2oQrvMM トロントとクンダリーニの比較

Part 2 https★//www.youtube.com/watch?v=BCcGaTRwG_4 ペンサコーラ、レイクランド

Part 3 https★//www.youtube.com/watch?v=dWeUNoR30_0 J・S師、B・J師、R・J師、IHOP

※ アドレスの★の箇所は:です。


 ソーキング・プレヤー(部屋を暗くして静かな音楽を流し、キャンドルを灯し、香を焚き、リラックスして感覚的に霊と交わる)は、トロント発クンダリーニのニュー・バージョンです。単調なメロディーと短いフレーズを繰り返し口ずさむ瞑想的祈り(カトリックや異教の方法)も、カリスマ派や第3の波系の教会で取り入れられています。知性を働かせて祈ることをやめ、受け身の状態になると、脳波が変わって異質な霊を受け入れやすくなるので大変危険であると指摘されています。

クンダリーニは、聖霊派のみならず福音派にも浸透しつつあります。異なる霊が引き起こす現象に多くのクリスチャンが惑わされ、御ことばを忘れ、癒しや霊的体験、天使の出現や天国体験を求めて走り回っています。聖書を体系的に教えず、間違った教理に基づいて霊の賜物、霊的現象、感覚的・感情的・身体的体験を追求する教会は、キリスト教の見分けミニストリーや世界の見張り人たちからは「キリスト教系新興宗教」と分類されています。現代は御言葉の飢饉の時代、ネオ・グノーシスとの霊的戦いの時代です。教会から異なる霊の影響が排除されますように! 

2015年7月 By Ishikawa

posted by CVSA事務局 at 22:30| Comment(0) | 警戒情報

2015年06月10日

IMMJapanの行く末は?

IMMJapanの幹部が、「私はもう関係していない。IMMはもう数カ月前にやめている。」と明るく偽り、実質的にはIMMの活動をしているという情報が入り出した。危機を感じる。
「もうやめている」というが、その間も、当ネットワークには、その人の活動の様子や被害の状況が届いていた。
やめていないことも伝えられている。
人間は、よいことを信じていたいものだ。そう言われれば信じる人が出てくる。
偽りは混乱を招き、偽りを信じてしまった人たちによって、関係破壊が起こっている。
反社会的問題の責任を取らず、「もう関係がない」と上記のように言っているのが事実ならば、立派なカルトとなる。

信仰は極めて個人的なものであり、誰がどの程度、危ない教えのコントロール下にあるかは、一概には言えない。その人の行動が物語る。
殉教の精神を説き、キリストの名を語っているならば、世間を騒がせている事件への疑いを釈明すべきではないか。

私を含め、知らないで関わったクリスチャンや、教会にとっては、大迷惑である。(騙された方にも問題はあるとは思うが、完全な人間はいないのである)

一日も早く、偽りが明らかになり、惑わされる人が起こらないように願う。

まさか、本当に未来永劫、消えない油を重要な建造物に塗る(塗っていた?)とは、当時、誰が思っただろう。
油を塗る命令が、神から来た命令であり、それを光の下で明らかにせず、闇で動いているとしたら、その神は、どんな神なのか。少なくとも、聖書でいうところの神ではない。

この20年の間(もっと古くからかもしれない)に、ひそかに浸透してしまった異なる教えが、あたりまえのように定着していることに、人間の原罪を見る。

God God詐欺の被害は、まだまだ続きそうだ。

関連記事:神の声を聞く人々    リバイバルと宣教

wolf.jpg  http://www.youtube.com/watch?v=bbLToB9DBicより引用
posted by CVSA事務局 at 22:33| Comment(0) | 警戒情報

2015年04月21日

神の声を聞く人々

ここ10数年の間に、預言や神の声を聞く訓練というものが盛んになってきている。
はたして、神の声は訓練して聞くものであろうか?
アブラハムは?モーセは?サムエルは?ダビデは?パウロは?
人が施す訓練で何か霊的な声を聞けたとして、それが神だとどうして言えよう。

意図せずして、とある黙想会(キリスト教を名乗っていた)に参加していたことがある。
神との間に牧師などの人を介せずに、静まって、神が語られるのを待ち、1時間以上静かに神の声を聞くというものであった。
聴き取った内容を発表していくと、驚くような不思議があったりすることがあった。
それを神だと信じるならば、喜びも起こった。

しかし…。
肝心なことは、その人たちが神の声を聞いた後に結んでいく実である。
 ★神の声を聞く人たちが、本当の神の声を聞いていたなら、分裂を避け、治めるために真理の中で最善の努力をするものである。
 ★神の声を聞く人たちが、本当の神の声を聞いていたなら、反対者がいたとしても、支配するように自分は神の声を聞いたという高圧的な態度をとることはせず(神の声を聞いたと事実を言うこととは区別されなければいけない)、柔和な心でその人を正す努力をするものである。
 ★神の声を聞く人たちが、本当の神の声を聞いていたなら、ひとつも違えることなく成就するものである。(誤って自分の思いを神だと思って誰かに影響を与えてしまったとしたら、悔い改めるとともに影響を与えた人たちに謝罪するのが主にある姿である)
 ★神の声を聞く人たちが、本当の神の声を聞いていたなら、人の自由意思を無視したような支配をすることはない。
                    ・・・

「御霊には、『ただいま訓練中」ということはなく、御霊は常に、真実で純粋なことだけを語られる」(「主は本当にそう語られたのか?」ジョン・ビビア著 158頁)
「平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、ほんとうに主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」(エレミヤ 28:9)

神は、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるお方であり、預言もその一つである。
主導権は「神のみこころ」にある。訓練次第で何とかなる領域ではない。

本物の神からの預言は、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という次元のものではない。100%当たるものである。
神の領域を占いのような次元に引き下げることは、恐ろしいことである。

「主のみこころを知りたい」というクリスチャンならば誰でも抱いている願望に働く主の敵がいることを忘れてはならない。

神の声を聞く人々によるパワハラ被害が出ている。
本物の神の声を聞く人々は、誰の目から見ても、よい証しとなるものだ。(神は愛)
その人たちには、御霊の実が現され、人ではなく神の栄光が現れている。
posted by CVSA事務局 at 21:49| Comment(0) | 警戒情報